いつもご覧いただいています皆様、久しぶりの更新となりまして
大変お待たせいたしました
今回の渋沢栄一を追いかけては、東京都北区王子駅からすぐの
飛鳥山公園のそばにある旧渋沢家飛鳥山邸をボリューム満点でお送りいたします
「曖依村荘」(あいそんそう)と呼ばれた自邸は、
1878年(明治11年)別荘として建設され
1901年(明治34年)から1931年(昭和6年)まで本邸として使われました。
1973年(明治6年)に大蔵省を辞した後、民間経済人として活躍する場ともなりました。
住居等の主要部分は1945年(昭和20年)4月の空襲で焼失し、
庭園内の「晩香盧」と「青淵文庫」は焼失を免れています。
1879年(明治12年)に、アメリカ大統領ユリシーズ・グランドの歓迎会が催された邸宅です。
この時日本では、コレラ菌が流行しており感染対策に苦労している時代でした。
現在の日本もコロナウイルスが流行しており同じ苦労をしておりますね。
1927年(昭和2年)蔣介石を拓き歓待され、日中友好を語り合いました。
栄一の『人の交わりの根本は孔子のいう恕』のことばを聞き、蔣介石は感激したという逸話も残っています。
渋沢は、日米友好と日中友好に深く関わりました。
現代にも渋沢栄一が必要ですね・・・!!!